むめい

音楽、映画、小説、スポーツ、ノルウェーのこと、とか。

21 WAVESはインスタ向け映画?まさか、ね。

 

 つい3時間前にこの映画を観まして、「今この瞬間」の整理されていない感情をかたちにしたいと思い、書いてみる次第です。

音楽ファンの99%が耳にしているであろうこの超注目作。フランク・オーシャンをはじめ、様々な大物に彩られたこのプレイリスト・ムービーは、「皆が幸せ」という安易な快楽を我々に提示しませんでした。というのも、一つの問題から問題が起きているのではなく、様々な問題の絡まりがあの悲劇を生むからです。つまり、「難しく、モヤモヤする映画」です。それを映像と音楽だけの映画、と断罪するのは如何なものかと思い、大テーマである「愛と再生」以外の、自分が感じたテーマを表明していきます。

ネタバレはめちゃめちゃします。

そして、散文的になるのですがお許しを。

では、WAVESにおけるテーマを色々考えていきましょう。

 

1.愛の「バランス」の大切さ

「バランス」を大切にしろ。劇中でタイラーの父親が述べていた一言です。

これを発言したタイラーの父であるロナルドも、発言を受けたタイラーも全くバランスを取れていなかったという悲しい皮肉があるのです。

まず、ロナルドは子供たちへの愛情においてバランスが取れていません。タイラーに厳しい課題を与え、叱り、応援する父親は娘であるエミリーに目もくれません。タイラーにいくらレスリングの才能があれど、それを理由に愛情のバランスを崩してはならないのです。

エミリーの不遇は冒頭(タイラーの視点)の殆どで出演しないという単純な描写からも理解できますし、冒頭、タイラーが帰宅するシーンでも明らかです。

エミリーの部屋は最初開け放たれてるのですが、タイラーは一方的に閉めてしまいますし、それができる立場になってしまっています。いかにエミリーが家庭内(タイラーと父親ですが)の中で主体性を与えられていないかが読み取れます。 

そのようにしてしまったロナルドはバランスを欠いた愛情を子供たちに与え、ひとりはそれによって追い込まれ、一人は自信を失ってしまうのです。

 そして、タイラー。彼がいかにバランスを見失ったかということは劇中あまりに明らかで、自己愛と他者愛のバランスが完全に自己愛向きに寄りすぎています。

自己愛自体に問題ないのですが、タイラーはアレクシスのことを自分を構成する一部、いわばトロフィーワイフ的な存在と感じているのは明らかでしょう。タイラーは自分のガールフレンドの妊娠も理解できないですし、アレクシスが別の男性といるところを見て逆上するのも、嫉妬という感情よりも、「I am a GOD」のタイラーが地に落ちるという方での怒りに思えます。

タイラーには繊細な一面もあったのに、それを無理やり隠し、強いタイラーであってしまった。その強さは強大な自己愛に支えられていたとしても、バランスを欠くことがいかに悲劇的な結末を生むかは自明のことでした。

2.自己責任論の大罪

 自己責任論的な思想は人を追い込みます。しかしながら、その追い込まれた状況の中成功した人間は破れていった人間を「怠惰だった」「無能だった」と切り捨ててしまうのです。

ロナルドはまさにそういう人間でした。彼の時代、黒人がいかに厳しい状況にいたかは想像に難くありません。そのなかで、「10倍努力した」ロナルドは豪邸を建設するに至ります。彼はコミュ二ティの希望にすらなったはずです。

「このような救済措置のない社会を是正するべき」という思考になってもいいのですが、如何せんそのルールで勝利しているロナルドはタイラーに同じような教育を施します。その結果、失敗できないタイラーは自分の才能をケガの秘匿によってふいにしてしまいますし、ケガを悪化させる行動もとっていきます。

「失敗した」タイラーの目の前にはなにも見えていなかったでしょう。

ちなみに、タイラーのコーチ陣も「チャンスは二度もない」と言っていますし、あの年代のマッチョな考え方は短期的な輝きを生みこそすれ、ロングテールな幸せとは遠そうです。

3.他者へのリスペクト

 先程、タイラーの自己愛について述べたのですが、タイラーは自己愛がゆえに他者へのリスペクトを欠いてしまいます。アレクシスを愛してはいるのですが、リスペクトがないために、「産む」という決断をした彼女を全く尊重しません。あろうことか彼女をバカ呼ばわりしてしまいます。

シンプルにタイラーの家庭における強い家長夫制が彼に影響してしまっているのかもしれませんが。これを欠いているタイラーは破滅に進んでいくのですが、一方エミリーへのリスペクトを持つルークは着実に愛を育んでいく。極めて対照的な姿勢が前後半で示されているといえるでしょう。

 また、poplifeで宇野さんが述べられていたと記憶しているのですが、一般的な黒人家庭では息子が母親に劇中に見られるような侮辱的な態度を取った瞬間に殴る、みたいことが起こりえるそうなのですが、ロナルドにそのような姿勢はなく、ただ怒ることを予告するに留まります。彼の対応の是非は置いておいても、ロナルドがキャサリンにリスペクトを欠いていることは予想できます。

4.「程度」の問題

 今作では、いくらリスペクトをキャサリンとエミリーに欠いているロナルドにも再生のチャンスが最後に与えられます。このシーンと、ルークと父親のシーンが「再生」というこの作品を通しての大テーマを象徴するのですが、タイラーには殆ど与えられていません。

この点に関して「消化不良」という意見があるとは思うのですが、タイラーはそれほどのことをしているということです。彼自身で再生させるチャンスを文字通り消してしまった。そんな彼に安易な救いは与えられません。

彼が長い服役の中でどのようにして償い、今後を描いていくのかということはタイラーにも我々にも予見できませんし、そこを描かなかったのは個人的には好ましい点です。極めて誠実な態度だと思います。

これは直近のBlackLivesMatterにもいえることです。この運動に対してAllLivesMatterというカウンターを浴びせる人は「程度」が分かっていないといっても過言ではないと思っています。程度はどんなものにも存在するのです、当たり前ですが。

 

今回、大テーマである「愛と再生」以外になにか自分なりのテーマを見つけられないかと思い書いてみました。

音楽とシーンの関連などはもっと詳しい方が書いていただけると期待しています。では。

ちなみに、Radioheadの挿入タイミングが良かったです。

 

 

20 bon iverのライブに行ってきた。それは私と「私」の対話。

 これまでに参加してきたライブがとりわけに多いわけではないけれど、昨日のbon iverのライブは人生の中で最高といっても良いものだった。bon iverを知ったのは2年前。Woodsを友達から教えてもらった。確かJames Blakeを知ったくらいの時期で、それきっかけで教えてもらったと記憶してる。なにものにも形容しがたい神聖で、繊細でな響き。現代的な聖歌と感じた。

 bon iverが来日するのは知っていたし、絶対行きたいと思っていたけど、今住んでいる地域での公演はなく、東京のみ。今回はちょっと無理かも、と思っていた。

 しかし、1月10日のpoplifeを聴いて、どうにもならない気持ちになった。今行かなかったらどうなる?と思ったし、チケットがまだあるなら行くしかないと決意。21日のスタンディングは当時まだあり、即購入。行った後悔の方が行かない後悔より100倍マシと言い聞かせ(後に正解と分かる)、不思議な高揚感に乗せられていた。

 当日。馬鹿すぎてチケットがないことを新幹線で気づく。動悸が止まらず、車内をぐるぐる歩き回った。チケットサイトには電話が繋がらず、Livenationには電話番号がない。完全に終わったと絶望していたが、最後の希望である、zeppにかけてみることに。あくまでハコだし無理かもしれないと思っていたし、新幹線を降りてJRに向かう途中だった(混乱しすぎて新幹線を降りてしまっていた。これも馬鹿)。しかし、なんとかなった。スタッフの方々のご厚意に本当に感謝しています。今後は当日にしか発券しませんし、できるだけ電子チケットにします。本当に、本当に、ありがとうございます。

 こんなこと言うとなにいってんだ、と言われるけど、圧倒的な絶望の中から希望がみえた、ということにbon iverを感じました。

 東京に着く。なんとかライブに入れていただき、ドリンクを買う。この時点でかなりの数の観客。キャパ一杯だろうなと思いを巡らせていた。プロのアーティストっぽい方もいましたし、日本語話者ではない人も相当数いました。

 ドリンクの長い列を終え、18時50分頃に会場入りできた。19時開演ということは実質19時10分開演だろうなと思いながらbgmを聴いていた。

 19時。時間ぴったりにジャスティンはじめメンバーが来て、一曲目を開始。勿論、1時間遅れ、みたいなことはないと思っていたけど、ぴったりに始まるとも思っていなかった。彼らの人柄というか、姿勢みたいなものがこういうものから読み取れる気がした。

 YiからiMiの壮大さに驚く。音源でかなりの効果がある楽曲だけど、生で聴いたらどうなんだろう?と邪推していたけど、この時点でそういう無駄な不安は消し飛んで、その圧倒的な音にただ、ただ、聴いていた。

 666から715の流れも素晴らしかった。715のイントロの瞬間が一番湧いていた気もする。三枚目、四枚目の重厚かつ繊細なサウンドをここまで体験できると思っていなかった。全身でその衝撃波を感じられる幸せ。Uも良かったな。

 Perth~Hey,Maの一連も印象深い。Perthはドラムがマーチっぽくて、それはともすれば軍隊的な恐ろしい響きなんだけど、私個人のフィーリングとしては、大きな自然にある春の訪れに近い(多くの人が感じているかな)。Salemはインプロっぽいフレーズが爆発してて、ジャズ的な興奮を与えてくれた。そして、Hey,Maで一転静かなスタートを迎える。この絶妙なバランス。

 Skinny Loveはジャスティンひとりの歌唱。絶唱という表現をしていた方がいたが、まさにそうであった。Naeemは今朝夜行バスから帰ってくるときに聴き直したら歌詞が入りこみすぎて、ダメでした。アンコールでのBlood Bankはかなりロック感が前面に出ていた印象。そして、ラストのRABiで静かに終わっていった。

 ここからは雑感。

 bon iverはともすれば「静」に思えるアーティストで、それは繊細とかfragileといった言葉で表されるところであったり、ジャスティンの美しい高音にあるのかもしれないけれど、この公演ではかなり身体的な響き、例えばツインドラムにみられる強い衝撃、重い機械音も感じられる。しかしながら、その両者が完璧な配分で共存しており、繊細な破壊を目の当たりにできる。この恐ろしいバランス感覚がbon iverを唯一無二にしているし、それを再現できる演奏力も恐ろしい。

 i,iというアルバムは、わたしとわたし、対話ですねということを聞くけれど、公演でもそうだったと思う。ひとりひとりが目の前で繰り広げられる演奏に没頭していた。正直、自分の周りがどうしてたとかがあまり分からなかった。でも、ライブが終わってみんなは満足していた。bon iverはみんなで歌おう!みたいな姿勢は見せない。けれど、観客がスマホを掲げてばかり・・みたいなこともない。そこには個人個人の集まりでありながら、集団を形成できる美しさが存在していた。人種も勿論多様だったけど、ひとりひとりがbon iverに向き合い、そして対話し、その対話が友人や家族との対話を生むのだろうか。「違う」ということに恐れをなして嫌ってしまったり、自分に居心地の良い環境だけを作ることが以前よりずっと簡単になったけれど、対話によってその壁を越えてゆくしかないという現実にもっと目を向けてもいいと再認識できた。

 世界は悪くなっていくと思ってしまうのは無理もないし、この日本も例に漏れずそうなのだろうけど、その絶望に浸っていくのではなく、もう少しだけ激しさを持った感情を持ってもいいのではないか。それは怒りや憎しみといったものではなく、「気づき」を生み起こすような感情。今回の公演はその激しさと、その激しさを暴力的にしない繊細さの両面で成り立っていて、こういう風に対話は行われるのではないかと感じた。世界は思ったよりも美しく、まだまだ良くしていける。

19 「港区女子」撲滅計画

 「港区女子」というワードが嫌いです。

辞書で「港区女子」を引くと・・・

・軽薄

・虚構

・意味のないさま

・勘違いした都会信仰

・前時代的

・嘘

など辛辣な言葉が並ぶのですが、なぜ私がこうにも「港区女子」を嫌いになってしまったか、ということに関しては詳細には述べません。ですが、「港区女子」が最近目に付くような事件があり、それを興味本位で覗いたらとんでもないことになったんです。

 

そして、「港区女子」には現代日本が抱える諸問題があります。勿論、苦虫噛み潰すくらいイヤな存在ですが、単に嫌いといっても仕方ないのは火をみるより明らか。現代日本の暗部を改善し、「港区女子」を撲滅しよう。

 

港区女子」と問題たち

①東京信仰

しかも、「港区」です。

地方分権が叫ばれてもう何十年も経つのに東京人口は減るどころか増える一方。別に東京じゃなくともできることは多いのに、なぜか「地方」の人間は皆東京に行きます。かくいう私も会社の都合で東京に召喚されるでしょう。

港区女子」は東京港区という威を借りた名前でしょうが、東京が未だに「イケてる街」だという表面的な共通解に縛られているのが一番ダサいということにも港区女子にはお気づき願いたい。メディアによる東京偏重な報道や、未だにある「トレンディな東京像」、一向に進まない地方分権、これらが港区女子という名前を生み出し、モンスターを誕生させてしまいました。早く首都を遷都して地政学的にも安定したところにしよう。

ジェンダーギャップ

正直、これが一番の問題だと思っています。今日付け(12/18)で発表された日本のジェンダーギャップは世界で121位ともはや中東あたりと変わらないレベルのものになっています。

港区女子」というのは基本的に「弱く、美しく、若い」存在です。いわゆる高収入の「パパ」やエリートサラリーマンに養ってもらう「港区女子」は「主体」を男性に奪い取られ、いわば従属する形になっています。もし、もう少しだけでも日本社会が平等であれば、このような状況を女性側はある種の屈辱だと思うでしょうし、そもそもこんな手段に出るという発想すら浮かばないでしょう。しかも、それなりに学歴がある女性がこれをやっているというのも驚きです。社会の罪は重い。(学歴が低ければオッケーってわけではありません。当たり前ですが)「港区女子」には美貌や若さも必要とされますが、これも結局「見られる」存在であるからです。確かに、手玉に取っているから実際的には違う、という論があるかもしれませんが、それでは結局男性優位の構図が変化しません。女性が主体性をもっと感じられるような政策もなく、言葉だけの「女性活躍」では「港区女子」は撲滅しません。いい加減にクオータ制でもなんでもしてほしい。

③連帯の欠如(②と似てます)

日本で「MeToo」があんまり大きなムーブメントにならなかったのは女性連帯がしづらい現状があったからという説もあるんですが、「港区女子」でもそれをみることができます。

ある「港区女子」が悪い意味で最近バズったのですが、それに対して他の「港区女子」は『「港区女子」はもっとかわいいし、こんなんじゃありませんから気を付けて!』みたいな反論をしていて、これでは・・・と思いました。

ここで「港区女子」がやるべき行動は、『「港区女子」はこんな存在だけど文句あるか?それでもいいなら遊んだるわい』的な援護です。重鎮を見捨てているようなことが平気で起こるのは恐ろしい。こんな風なマインドを皆が持っていては社会問題は解決されません。まあでも、これがあると勝手に「港区女子」は内部崩壊して消えていくともいえるのでなんとも言えませんが。

 

こうつらつらと書いてきましたが、前時代的な「東京信仰」を止め、女性の社会進出を強め(ただ働くのではなく、高いポストにも女性が増えるという状態です)れば、私が嫌いで仕方ない「港区女子」はいつか消えます。みんなで頑張ろう。

 

18  多摩社宅少年

 卒論が忙しいのと、持ち前の怠惰が顔を出し、気づけば相当な時間ほったらかしにしていました。今日は、自分語りです。

 

 私は転勤族の子供です。父親は今でも転勤していますし、単身赴任は10年を越えました。小学生までは父についていったのですが、中学入学を機に母の地元に定住することが決まり、そこから私は転勤による引っ越しを経験していません。そんな私が幼稚園年中から小学校3年まで住んでいたのが東京でした。東京と言っても多摩の方ですが。我々一家は多摩の社宅に住んでおり、父は満員電車で疲弊し、母は東京の距離感の遠い人間関係に疲弊しておりました。しかし、私には少々のノスタルジアをくれました。この社宅での暮らしが人生で見て実は大きい影響を自分に与えていたのだ、という気づきのようなものが最近心に去来したこともあるからです。

 

社宅での暮らし、それはタイムリミットの暮らしです。仕事柄ほぼ確実に数年内に全員が引っ越しを迎えるからです。そこに暮らす家族、いや大人は表面的な付き合いになっていたでしょう。数年以内に引っ越すことが決まっている人間同士で仲良くするメリットがあまりないからです。母もそれがあり、疲弊してしまったのでは、と邪推してみたり。

子供はどうでしょうか。勿論、ほぼ全員が引っ越しを経験しているため、いつか別れが来ることは理解しています。それでも、私たちはおおむね仲良しでした。その瞬間を大事にしているから ―というと聞こえはいいでしょうが― (少なくとも私には)というような感覚はなく、ただただ社宅の目の前にあった広大な「原っぱ」(そう呼ばれていた)で遊ぶだけでした。それでも誰かが引っ越すなんて噂は定期的に出ていましたし、それに対して寂しさを覚えたりもしました。

その別れを含み置きながら、皆は原っぱでボールを追いかけていたのでしょうか。だとすればノスタルジアたっぷりの、泣かせる話です。

加えて、社宅の子供たちにはある程度の連帯がありました。「社会」が存在していたのですね。高学年のお兄さんたちは低学年に手加減して遊んでくれましたし、ルールの整備もやってくれたと記憶しています。また、私に「縦」の社会の存在を知らしめました。私が小学2年くらいのとき、その頃丁度引っ越してきたK君に私は普段通り話したのですが、K君は私を「敬語を使わないヤツ」として認識し、私の親に抗議したのです。当時の私は正直不安と怖さでビビりました。全員が「おともだち」ではなく、そこに明確な上下があったのか、と認識したからです。連帯のなかにも縦関係があり、なんとも古風な形の共同体が「転勤族」という新しい概念から生まれたのは皮肉的で面白いところだと思います。

 

そして今、あの頃の社宅の子供たちがどうなっているか私は知りません。本当に瞬間の友情になってしまいました。

この経験は私に少しのネガティブをくれました。距離の遠さと友情は極めて相性が悪いということです。その経験は私に少し冷めた友情観を与え、地元主義のヤンキーをとても苦手だと思う反面、すこし羨ましく思ったり。あの頃の社宅の子供たちはどういう気持ちで今を生きているのでしょう。それはもう私には分からないけれど。

17 撮影、録音禁止!マルチ系の講演会に行った。

 私の友人の祖母がある商材にお熱であり、その企業は「今度我が社が行う講演会に人を何人か連れてくるとグッズをあげます」と言ったため、土曜の昼下がり、私の友人と私は召喚された。

無論、無料ではない。私は時給1000円で5時間の講演会を聞いていたのだ。(友人の祖母から給与は支払われる)仕事である以上ベストを尽くすというのは当たり前のことなので、私はほとんど寝ることなく講演会を聞き続けた。面白い体験もそれなりにあったが、やはり「しんどい」ものであった。

辛い体験ほど早く成仏させてやったほうがいいので、さっさと書くことにする。

 

商材について少し書くと容易に特定されうるため、そこに関しては、ぼやかして書きたい。少し詳らかにすると、最近流行りの〇〇水関連の商品である。

講演会のスケジュールはこのようなものだった。

最初の30分 司会の登場、会社の事業紹介、代表(詳しく忘れた。偉い人)の挨拶。

次の1時間 「研究員」の成果報告

次の2時間30分から3時間 〇〇水の原理、その効用に関する説明

最後 「最高顧問」のありがたいお話

といったものだ。どのシーンにも一つくらいツッコミどころがある素晴らしいものであった。私自身、自分のことを賢いとは思わないが、これが「贋物くさいな」と感じ取る嗅覚だけはあったらしい。こう書くと一部の方は「成功できない人」と思うかもしれないが、大いに結構。勝手に成功していてほしい。

「ツッコミどころ」があると先述したので、解説していきたい。

 

まず、司会

素晴らしい司会ぶりだった。特別ゲストで呼ばれた芸能人の方に前科が気がしたが、まあそれと今の活動は無関係だ。後から思えば、まともなのは司会だけであった。

 

事業紹介

私は学生であり、まだまだ社会経験に乏しい。そのため一般的な会社の事業説明を評論できないが、この説明は明らかにアウトであった。なぜなら、事業が三つしかないからだ。「電話応対業務」「応対内容の打ち込み業務」「発送業務」この三つだ。そもそも論だが、業務内容は事業ではない。事業説明と言われて期待することは、会社が今なにを目的にしており、それに対してどのような製品およびプロジェクトがあるか、ということではないか。私が就活中に回ったところはそういう事業説明をしてくれていた。そのため、この会社の事業は全く分からない。しかし聴衆は「お~」と言っていた。なにに納得したのか?

 

代表のお話

代表はいかに素晴らしいかを司会の方が説明し、代表がお話をする。ここで少し製品説明があった。しかし、これ以降製品がどういうソリューションになるか、というような話はない。謎だったのはその後だ。代表は使い古されたような人情噺をし、聴衆から大爆笑をかっさらう。何故皆が笑っているのかが分からなかった。枕で笑って落ちで笑わないのは何故。会場が温まったところで代表の歌が披露される。下手ではなかったが、事業に関係はなく私は混乱していた。当たり前だ。

 

「研究員」の成果報告

わざわざ「」を付けて「研究員」としている。そう、彼らは研究員ではなく、顧客なのだ。つまり、お客様の感想報告会だ。〇〇水を使って、糖尿病が治ったり、血管の病気が治ったり、皮膚病が治ったりしていた。私の親戚には医師が多いが、誰もこの話をしていなかった。こんな間近に解決案があるのに彼らはあまりに無頓着だ。もしかすると、だが、データにおいて効果が未確認なのかもしれない。この「研究員」に対して私は極めて複雑な感情を感じた。彼、彼女たちは本気で〇〇水に救われたと思っており、その効果を広めたいと感じている。一方、その「研究員」のバックに「何か」を感じてしまう。「研究員」は意志のない何かにも見えるが、「研究員」はたぶん本気である。ここまで来るともう後ろには下がれまい。

 

〇〇水の原理に関する説明

分からん。文系だからだろう。一応世間的に「OK」とされる大学にいるが(たぶん)、まっっったく分からなかった。かなり疲れた。ちなみに研究の経過的意味合いがあるとのことでここでの写真撮影などに関しては釘を再度刺された。

 

「最高顧問」のお話

ここでは一回しか〇〇水の話が出なかった。内容と言えば、「いかに戦後直後の人間が頑張ったか」「日本人はこんなにすごい」「英霊の魂を背負って生きている」「感謝を伝えよう」この四つくらいであった。

三時間弱の理論説明はこれの壮大な前振りだ。会場のほぼ全ての人間(主に高齢者)は現役大学生でも全く分からない理論を長時間聞き、かなりお疲れだ。そこに最高顧問の極めて分かりやすい話が入ってくる。そこになんと感動的なBGMまでついているのだ。(Time to say goodbyeやRoseなどが流れていました)ここまでハードルを下げられると誰でも飛び越えられる。逆にこける方が難しいだろう。

内容が「わかりやすい」と書いたが、まさにそうであろう。会場内の70~80の高齢者にとってドンピシャに刺さる内容だからだ。「古き良き礼儀正しく美しい日本」は世界に賞賛されている、と留学経験のある顧問が言う。そんな「私たち」は素晴らしい。ご先祖様日本を守ってくれてありがとう!みたいな。

私個人としてはあまり心地よいものではなかった。話のダシに戦争被害者を使うのも、留学経験を使うのも倫理的にどうなのか、と思ってしまう。戦争被害者になんらかの想いがあり、それに対して〇〇水を使って貢献していると思うのは構わないが、それが他の人種を下げたりするのに使えるわけではない。ともかく違和感だらけであった。

 

と、ここまでマルチ系講演会の体験談を書いてきました。あの講演会にいた高齢者たちは今どう思っているのかというよりも、私はあの講演会が自分の愛する人を救いたいという無垢な心で来た人をも根拠不十分な治療で魅了しているということに歯がゆさを感じました。決して否定されるべきでないものかもしれませんが・・・。

 

 

16 「フィロソフィーのダンス」のライブはきっと楽しい 

 私はいわゆるメジャーアイドルが好きでして、乃木坂46とか、最近なら日向坂46が好きです。これらは坂道グループ(欅坂、吉本坂も含めた4グループの総称)って呼ばれています。こういう大きい資本がバックにあるアイドルっていうのはコンテンツの量も半端じゃなくて、乃木坂はスタートと同時に冠番組を貰っていますし、CMでの出演も多数ありました。そうなると、受け手も楽しむコンテンツが多いのでハマりやすくなり、ファンは拡大するという生の循環を生みだします。

では、他は?この令和の時代、アイドルは煩悩の数と同じくらい、いや、そんなものではないですね、ともかく多いのです。その中である程度の資本を持つアイドルは差別化し、様々な方法で秋元康プロデュースアイドルに対抗していきます。生物の授業みたいですね、差し詰め進化論。そういう差別化したアイドルを今TIF(東京アイドルフェスティバル)で見ることができます。東京は本当に恵まれていますね・・・。地下奥底に眠るアイドルを発掘するのは並みの人間にできることではありませんが、地上でそれなりの地位を築いたアイドルを発掘するにはいい機会だと思います。

TIFに行けなかった私なのですが、それ以前に実は私はあるパワフルなアイドルに出会っていました。そしてそのアイドルを見に行きたいと思っていたのでTIFの話をさせてもらっていたのです。回りくどいですね。

そう、その名前は「フィロソフィーのダンス」です。

ともかくファンキーでダンスしたくなるような曲を乱発しているアイドルなのです。

 

私は坂道グループの楽曲かもっと前のアイドル(80年代ポップ)の楽曲をメインで聞いていたのでなかなかこのようなアイドルに出会うことがありませんでした。もったいない。

彼女らはファンキーなのですが、アイドル性も含んでおり(後述しますが、おとはすの声によるものがかなり大きいのかな)アイドルファンもそれ以外のブラックミュージックが好きな人も楽しめるアイドルだと思います。

フィロソフィーのダンス、名前が長いので「フィロのス」と略されるのですが、今回も基本的にはそのスタイルで呼称させてもらいたいです。

フィロのスは4人で構成されています。

奥津マリリ リーダー イメージカラー 青 マリリ

ともかくセクシーな「お姉さん」って感じの方です。声が少し低く、それも個人的にグッとくるポイントです。そのセクシーさを活かしてSPA!に載ってたはず。

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佐藤まりあ サブリーダー イメージカラー ピンク あんぬ

スタイルがともかくよろしい!マリリはブーティーな感じのスタイルの良さですが、まりあ、いや、あんぬはすらっとした姿が美しい。腹筋も割れてますし。ターザンに掲載されており、そのスタイルを活かしてフィットネスアイドルになってほしいです。(願望)

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十束おとは イメージカラー 黄色 おとはす

自作PCが趣味という変わった趣味の持ち主。こういう趣味はオタクウケがいいんでは?実際ライブ映像を見ていてもコールの声が大きい気がします。ゲーム関連の外仕事が得られそうなのはいいことでしょう。また、声がアニメ声的で特徴的。彼女の存在はフィロのスのアイドル性を支えます。

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日向ハル イメージカラー 赤 ハルちゃん

グループ内でぶち抜けて歌が上手い。フィロソフィーのダンスというグループの音楽的な「黒さ」を表現するには彼女は必須。カラオケバトルに出たり歌唱力は確かですし、ステージ上でコメディ的立ち回りも出来ます。こういうショーマンシップの高いメンバーがグループ全体のステージ力を向上させているのでは?と予想してみたり。

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画像検索すると変顔ばっかりでてきます

絶対見るべきライブ映像

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何度見たか分からん。演奏が生演奏ながら、コールがあるという意味不明さが私はたまらなく好きです。ハルちゃんのソウルフルな歌声が効いています。

 

youtu.be

Everybody!と叫ぶことは確実。

ダンスがスリラー風です。サビ前のマリリの歌声がいいですね。

あんぬの筋肉にも注目。

youtu.be

一番ファンクしてる。面子的に当たり前なのですが。

生演奏との親和性が極めていいです、音源より強い。

youtu.be

今年のTIF。

 

来年、東京に住むことがあればライブに足を運びます。もしかしたら今年かも。

今日メジャーデビューが決まりました。おめでとう!(2019 12/17)

 

15 何も学べないドラマ『Trailer Park Boys』を見ませんか

 カナダでは有名なドラマなんです。日本ではそうでもないけど。

このドラマ、あなたがNetflixに入っていさえすれば全シーズン見ることができ、そして、あなたの限られた時間を蝕み、浪費し、終には何も学ぶことはないと心から思えるはずです。

というのも、この作品にテーマだとか美学みたいなものを求めるのは野暮と言えます。

そんな今作にあえてテーマを付けるなら「3低人間たちの生活劇」です。この作品に出てくる人物の殆どは低学歴、低収入、低犯罪者という、なんというか、箸にも棒にも掛からぬ方々だからです。

 

冗長な説明をしておきました。では、この作品の「概要」を書いていきます。

Trailer Park Boysはカナダで2001年から2007年まで放送されていたテレビドラマです。体裁としては、主人公たち(ジュリアン、リッキー、バブルス)が住んでいるトレイラーパーク(団地を各段にグレードダウンさせたようなところです。それでもまあまあデカいのは土地の広い国のなせる業)の日常(窃盗か麻薬栽培、密売がほぼ)をテレビのドキュメンタリー班が密着撮影している、というものです。こういう作品をMockumentaryというらしい。タメになりましたか。

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次に主人公たちの紹介です。

ジュリアン

色男であり、(比較的)論理的思考ができるのでリーダー的存在になっている。服装が常に黒Tシャツで、常にラムコークを持ち歩いている。勿論、運転中もですよ。俳優のパトリック・スウェイジに似ていると言われるのを極度に嫌う。このジュリアン、そしてリッキー、バブルスは皆幼馴染。

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リッキー

主人公の中で唯一子供がいるが、最も思考力に欠ける。言い間違いが極めて多く、Rickyismと呼ばれるほど。(JupiterをJuniper,NASAをネイサと言う、ハラペーニョをジャラペーニョと言うなど枚挙に暇がない)

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私の記憶では、初登場時は中学も卒業していなかった。しかしながら、向学心は人並みにあり、後半シーズンになると高卒資格を得ようと努力する。また、マリファナの栽培が天才的に上手。

ファッションセンスに独特なものがあり、異常なほどのヘビースモーカー。

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バブルス

分厚いメガネが特徴的なキャラクター。機械いじりと猫が好き。三人の中では最も倫理的な価値観があり、窃盗したカートの修理で生計を立てる真面目な一面がある。また、彼が幼少時に作ったパペット人形がバブルスのオルターエゴのようなものであり、この人形が火種となって問題を起こすことも。

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彼ら三人は定職に就いていないため、基本的に収入が「程度の軽い」窃盗か、大麻の密売になります。勿論、違法行為ですので、トレイラーパークの管理人であり、元警官のレイヒーは良く思っていません。レイヒーは彼らを追い出し、刑務所にぶち込むため万策を講じ、そしてそれに対して主人公たちが対抗し、どうにかなったりならなかったりする、というお話です。

レイヒー

元警官でトレイラーパークの管理人。警官をある理由からクビになっているが、警官のプライドはあるため、非行を繰り返すジュリアンたちが許せない。その一方、重度のアルコール中毒であるため、一日中酒瓶を片手にしている。バイセクシュアル。

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基本的に全員「どうしようもない」奴だと思っておけばOKなので、登場人物紹介はこのへんにして、各シーズンのおすすめストーリーを紹介しますね。

 

シーズン1

4話「ピーターソン夫人の犬」

ジュリアンはある日、彼の祖母同然の夫人から犬を預かるように頼まれる。しかし、用事があり、リッキーに一時的に預かってもらうことに。そこでなんと、犬はリッキーが作っていたマリファナブラウニーを馬鹿食い。ジュリアン、どうする?

 

シーズン2

5話「聖書を売る男」

聖書を売り歩く男と美人。しかし、本性はパークの住民から金をだまし取っていた!そんなことも知らずジュリアンは美人のハニートラップにしっかり引っかかり、リッキーとバブルスで作っていた財産を全て奪われる。友情の危機、乗り越えられるか。

 

シーズン3

5話「ラッシュが街にやってきた」

カナダの人気バンド「ラッシュ」の大ファンであるバブルスはどうしてもライブに行きたい。しかし、なんとチケットはレイヒーの嫌がらせから買うことができず、ファンへのクイズもレイヒーが不正をしてステージに上がる権利を勝ち取る。リッキーは怒った挙句、ギタリストを誘拐するまでに。なんとか、ギタリストはライブに戻るがバブルスは諦めきれない。バブルスはライブを見ることができるか。今作品ぶっちぎりの感動回。

 

シーズン4

8話「収穫の夜」

リッキーはマリファナの大規模栽培に成功し、金持ちになることを企む。しかし、アル中が極限まで極まったレイヒーはその時、レイヒーの前妻といい感じになっていたリッキーを本気で殺害しようとする。リッキーたちは無事マリファナを収穫し、大金を得られるか。そしてリッキーの命は?

 

シーズン5

3話「それが世の中」

トレイラー大爆発。

 

シーズン6

5話「1977年のハロウィーン

レイヒーが警官をクビになったのはジュリアンたちのいたずらのせいだった!?この証拠をもとにレイヒーはなんと警官に復帰。しかし、無実の罪で長い間クビにされたのならそりゃアル中にもなるし、街で立っていた男娼を副管理人にもするだろう(?)

 

シーズン7

10話「人生は川のように」

オリジナルシリーズの最終話。一応、いろんなことが片付く。

 

シーズン8以降はNetflixに委託されており、私も視聴中です。

魅力的なキャラクターによるどうしようもない生活、覗いてみてね。