むめい

音楽、映画、小説、スポーツ、ノルウェーのこと、とか。

21 WAVESはインスタ向け映画?まさか、ね。

 

 つい3時間前にこの映画を観まして、「今この瞬間」の整理されていない感情をかたちにしたいと思い、書いてみる次第です。

音楽ファンの99%が耳にしているであろうこの超注目作。フランク・オーシャンをはじめ、様々な大物に彩られたこのプレイリスト・ムービーは、「皆が幸せ」という安易な快楽を我々に提示しませんでした。というのも、一つの問題から問題が起きているのではなく、様々な問題の絡まりがあの悲劇を生むからです。つまり、「難しく、モヤモヤする映画」です。それを映像と音楽だけの映画、と断罪するのは如何なものかと思い、大テーマである「愛と再生」以外の、自分が感じたテーマを表明していきます。

ネタバレはめちゃめちゃします。

そして、散文的になるのですがお許しを。

では、WAVESにおけるテーマを色々考えていきましょう。

 

1.愛の「バランス」の大切さ

「バランス」を大切にしろ。劇中でタイラーの父親が述べていた一言です。

これを発言したタイラーの父であるロナルドも、発言を受けたタイラーも全くバランスを取れていなかったという悲しい皮肉があるのです。

まず、ロナルドは子供たちへの愛情においてバランスが取れていません。タイラーに厳しい課題を与え、叱り、応援する父親は娘であるエミリーに目もくれません。タイラーにいくらレスリングの才能があれど、それを理由に愛情のバランスを崩してはならないのです。

エミリーの不遇は冒頭(タイラーの視点)の殆どで出演しないという単純な描写からも理解できますし、冒頭、タイラーが帰宅するシーンでも明らかです。

エミリーの部屋は最初開け放たれてるのですが、タイラーは一方的に閉めてしまいますし、それができる立場になってしまっています。いかにエミリーが家庭内(タイラーと父親ですが)の中で主体性を与えられていないかが読み取れます。 

そのようにしてしまったロナルドはバランスを欠いた愛情を子供たちに与え、ひとりはそれによって追い込まれ、一人は自信を失ってしまうのです。

 そして、タイラー。彼がいかにバランスを見失ったかということは劇中あまりに明らかで、自己愛と他者愛のバランスが完全に自己愛向きに寄りすぎています。

自己愛自体に問題ないのですが、タイラーはアレクシスのことを自分を構成する一部、いわばトロフィーワイフ的な存在と感じているのは明らかでしょう。タイラーは自分のガールフレンドの妊娠も理解できないですし、アレクシスが別の男性といるところを見て逆上するのも、嫉妬という感情よりも、「I am a GOD」のタイラーが地に落ちるという方での怒りに思えます。

タイラーには繊細な一面もあったのに、それを無理やり隠し、強いタイラーであってしまった。その強さは強大な自己愛に支えられていたとしても、バランスを欠くことがいかに悲劇的な結末を生むかは自明のことでした。

2.自己責任論の大罪

 自己責任論的な思想は人を追い込みます。しかしながら、その追い込まれた状況の中成功した人間は破れていった人間を「怠惰だった」「無能だった」と切り捨ててしまうのです。

ロナルドはまさにそういう人間でした。彼の時代、黒人がいかに厳しい状況にいたかは想像に難くありません。そのなかで、「10倍努力した」ロナルドは豪邸を建設するに至ります。彼はコミュ二ティの希望にすらなったはずです。

「このような救済措置のない社会を是正するべき」という思考になってもいいのですが、如何せんそのルールで勝利しているロナルドはタイラーに同じような教育を施します。その結果、失敗できないタイラーは自分の才能をケガの秘匿によってふいにしてしまいますし、ケガを悪化させる行動もとっていきます。

「失敗した」タイラーの目の前にはなにも見えていなかったでしょう。

ちなみに、タイラーのコーチ陣も「チャンスは二度もない」と言っていますし、あの年代のマッチョな考え方は短期的な輝きを生みこそすれ、ロングテールな幸せとは遠そうです。

3.他者へのリスペクト

 先程、タイラーの自己愛について述べたのですが、タイラーは自己愛がゆえに他者へのリスペクトを欠いてしまいます。アレクシスを愛してはいるのですが、リスペクトがないために、「産む」という決断をした彼女を全く尊重しません。あろうことか彼女をバカ呼ばわりしてしまいます。

シンプルにタイラーの家庭における強い家長夫制が彼に影響してしまっているのかもしれませんが。これを欠いているタイラーは破滅に進んでいくのですが、一方エミリーへのリスペクトを持つルークは着実に愛を育んでいく。極めて対照的な姿勢が前後半で示されているといえるでしょう。

 また、poplifeで宇野さんが述べられていたと記憶しているのですが、一般的な黒人家庭では息子が母親に劇中に見られるような侮辱的な態度を取った瞬間に殴る、みたいことが起こりえるそうなのですが、ロナルドにそのような姿勢はなく、ただ怒ることを予告するに留まります。彼の対応の是非は置いておいても、ロナルドがキャサリンにリスペクトを欠いていることは予想できます。

4.「程度」の問題

 今作では、いくらリスペクトをキャサリンとエミリーに欠いているロナルドにも再生のチャンスが最後に与えられます。このシーンと、ルークと父親のシーンが「再生」というこの作品を通しての大テーマを象徴するのですが、タイラーには殆ど与えられていません。

この点に関して「消化不良」という意見があるとは思うのですが、タイラーはそれほどのことをしているということです。彼自身で再生させるチャンスを文字通り消してしまった。そんな彼に安易な救いは与えられません。

彼が長い服役の中でどのようにして償い、今後を描いていくのかということはタイラーにも我々にも予見できませんし、そこを描かなかったのは個人的には好ましい点です。極めて誠実な態度だと思います。

これは直近のBlackLivesMatterにもいえることです。この運動に対してAllLivesMatterというカウンターを浴びせる人は「程度」が分かっていないといっても過言ではないと思っています。程度はどんなものにも存在するのです、当たり前ですが。

 

今回、大テーマである「愛と再生」以外になにか自分なりのテーマを見つけられないかと思い書いてみました。

音楽とシーンの関連などはもっと詳しい方が書いていただけると期待しています。では。

ちなみに、Radioheadの挿入タイミングが良かったです。