むめい

音楽、映画、小説、スポーツ、ノルウェーのこと、とか。

13 『トカトントン』は若者必読。

 太宰治の短編集、『ヴィヨンの妻』の中に収録されている「トカトントン」の話です。この30ページにも満たない小説は私の喉元をぐにゅっと締め付けます。70年以上前の小説がなぜ私の心に訴えかけたのか、そしてこの小説には現代の(もしくは古代からかも)若者の冷笑的な思想にも訴えること、今日はそれを書きたい。

 

 ざっくりしたあらすじから。形式は帰還兵である26歳の男の太宰へのファンレターです。内容はこんな感じ。彼は終戦の瞬間、上官から死ぬよう覚悟しろと言われ、相応の覚悟をするのですが、そのとき「トカトントン」という謎の音を聞きます。それを聞いた彼は何もかも馬鹿らしくなって死ぬこともなくぼんやり故郷に帰るのです。それからというもの、彼がやる気を出せば「トカトントン」が聞こえるように。困った彼は太宰に相談をするのですが・・・・。

 

 

しっかりネタバレすると、

この若者は太宰に怒られて、ほどもないですね、しょうもないですねという感想をよこして終わります。そうですね、なにかやろうとするんですが、理由をつけて辞めちゃう彼に対して、「やらんかい」とありがたいお言葉を投げかけているわけです。太宰も大概にダメな男だとは理解されていますが、実際どうでしょう。名家に生まれたというラッキーもあったかもしれませんが、しっかり東大に行き、政治運動もし、小説も書き、女を泣かせます。一方、主人公の「彼」はやろう、とするだけです。やろうとしたら「トカトントン」が聞こえて、ぜーんぶ辞めちゃうのです。

 これ、結構ずるいですか?まあ、ずるいでしょう。自分ができなかったこと、やれなかったことを外的要因に転嫁して謎の現象のせいにしているわけです。

でも、私は「彼」がこのファンレターを太宰によこした、その点にスポットを当てたいのです。太宰はおそらく最後の文で一気に読者のキモチを「こちら側」に引き寄せてきました。それでも、見逃してはいけない点があります。今回ばかりは「彼」が行動したということです。今までなら「トカトントン」で諦めていたでしょう。実際、聞こえてきて、諦めそうになった、嘘もついた、と言っています。それでもなんとか書いた、そしてその回答として「やればいいでしょ、講釈垂れずにやれよ」が来るのも想定できたでしょう。それでもやれたのです。彼はもう成長しているんです。少しかもしれないけど。

 

 私の年代、特に20代前後は世の中を知った気になって、「それは無駄」とか言っちゃうワケです。最近は人の思想がバンバン垂れ流しになるので、共感もしやすくなります。「それは無駄」の思想が簡単に出てきます。車、タバコ、酒はまあそういうのにダメージを受けやすいですよね。私はタバコしませんし、車も大して欲しくないんですけど。ライフハック、っていう言葉もそれを表していますね。昔流行ったもの、今流行っているもの、なぜか守られている慣習。ここらへんって結構簡単に切れるし、俺はやんねーよ、の意思表示が異端っぽくてともすればクールに見えたりします。ですけど、やってみてから考えるっていうのも大事でしょう。私はできるだけ、ですが、やった上で批判をしたいっていうのがありまして、やらないのに批判するのはずるいかな、と思ってしまうわけです。そういう気持ちを持ってきた大学生活でしたが、やっぱりその中でも理由をつけてやらないこと、数えられないくらいあったなと再認識しました。それはある種の防衛本能かもしれませんが、やはり遠回りしてやってみた人の言い分に敵うものはありません。

 この「彼」を対岸から馬鹿だな、って思った読者に対して、太宰は「身を殺して霊魂をころし得ぬ者どもを懼るな、身と霊魂とをゲヘナにて滅し得るものをおそれよ」という一文を向けたのかもしれません。

12 太陽の塔。内部にも侵入。

 太陽の塔に行ってきました。関西の人、特に大阪の人は訪れたことや見かけたことがあると思います。異様で、異形で、異彩を放ち、ちょっぴりかわいいようで、すこしこわいあれです。私の太陽の塔への第一印象は「こわい」でした。あれはおそらく、小学生低学年ほどのこと。テレビに写っていた太陽の塔は私に絶妙な違和感を与えました。しかしその後、太陽の塔はそれなりの期間、私の記憶の部屋の向こうに追いやられる不遇の時代を過ごします。そんな可哀そうな太陽の塔にまたスポットライトが当たります。中学三年のころです。きっかけは森見登美彦の『太陽の塔』を読んだこと。主人公は大学を自主休学している京都大学五年生。「私」は別れた彼女、水尾さんの生態研究を純粋な研究として一日のほとんどを費やして行いながら、「男汁」が染みついた友人と不毛な日々を過ごす。ではタイトルは何故「太陽の塔」なのか?主人公が幼少時、太陽の塔に心惹かれたこと。元彼女の水尾さんが「私」と太陽の塔へデートに行った際、太陽の塔に異様にのめりこんだということ。そしてラストシーン。この三点で太陽の塔は関わってきます。意外に太陽の塔はそんなに出てこない小説なのですが、太陽の塔は私に強烈な印象を与えました。京都大学に行こうとすら思いました。すぐに諦めましたが。

 そして私は関西地方の大学に進学し(京都大学ではもちろん無い)、太陽の塔へのデートを画策しました。しかしながら大学入学してから私は男汁にまみれてしまい、しばらくデートはお預けに。幸運に彼女が出来て太陽の塔に二度行ったのですが、まさかのどちらも休園日。太陽の塔は私を拒絶します。(私の確認不足という説もあります。)

そうやって確認を怠っているうちに私は日本の土地をしばらく離れることになります。しかし太陽の塔は私のいない間に、その秘められていた心を世間一般に開放します。なんとその内部を公開するというのです。大阪万博が終わってからその内部はおよそ50年一般開放されていなかったのですが、2018年、その沈黙はとうとう破られます。この一方をスペインはバルセロナで見た私の興奮、これは久しぶりに自室を掃除したら一万円がなぜか出てきた、この際の興奮と同量だったと記憶します。

 そして時は流れ、2019年。私は彼女を引き連れ太陽の塔に向かったのです。さながら『太陽の塔』のように。彼女は水尾さんのように異様な執着は見せず、どちらかというと私が前のめりになって太陽の塔について語るというものでしたが、大変満足いくものでした。太陽の塔の魅力として、時代に取り残されない異常性があると思うのです。太陽の塔は古いな、という印象を皆に与えないのと同時に、先進的だという印象も与えません。太陽の塔は極めて原始の建造物のようなプリミティブな印象を持ちながら、しかしながらそのコンクリートに包まれる近代的構造に支えられています。進化の過程、生物誕生のタイムラインを内包する内部。儀礼的な地底の太陽。統一されたテーマというのが一見すると分かりづらくなっているような気すらします。私はそれこそが世界であり、カオスこそが真実なのではないかと考えるのです。勿論、神によってすべてが説明できるとする考え、すべては科学で実証可能とする考え、それらを私は否定しませんが、太陽の塔に内在する、古いけど新しく、新しいけど古く、どこか点と点がばらばらになっていながらも強烈な印象の下でそれがどこか統一したように見せられ、一つの物差しでは測れない世界というアンビバレントな世界もまた否定できないと思うのです。

 太陽の塔には世界が、地球が蠢いています。是非自分の目でそれを目撃してください。

 

 

11  Aマッソのゲラニチョビ 面白い話を短めにおすすめ

 Aマッソのゲラニチョビ、知ってますか。にわかものの私が珍しく一話から見ているインターネットテレビです。若手芸人Aマッソ(加納・村上のコンビ)がすこしふしぎな笑いを提供したり、一方で「どうでしょう」的なツアーがあったり・・・。ですが、製作陣がやらかしまして・・・結構な話数が削除されてしまいました。なので現在視聴可能な話をメインに紹介します。

でもゲラニチョビ初心者の方もこれで明日から安心(なはず)!ゲラニチョバーになれます!面白い話めちゃ短め解説を行います。興味が湧いたら嬉しい。

数字が話数、「〜〜」がタイトルです。

1 なんと現在見れません。モテすぎる村上をどうにかするっていう回。自己紹介と思わせてコントをするっていうハナからAマッソ感満載で私の心を掴んだんですが・・・

3 「ギルティ」構成作家白武の後輩が20万円を返済しないのでAマッソが罰します。最後の罰、本当にきついです。私は化粧品の名前当てられなかったらビンタされる罰を受けたい、違う、見てて楽しいです。

4 「デシベル」二組のカードには山手線の駅と数字(デシベル)が書いてあり、一枚ずつ引き、音量を探します。例)渋谷 80 なら 渋谷駅で80デシベル相当の音を探すという風です。これやってみたくなります。特に好きな回です。6000デシベルは見つかるか。

5〜8 「マジカル・オオギリ―・ツアー」現在視聴停止中。もっっったいない!屈指の傑作回。大喜利で笑いが取れたら500円。その大喜利で旅費を稼いで静岡観光をするAマッソは無事東京へ帰れるのか?

9 「スーツ」「衣装点」が低くM-1予選に落ちたとするAマッソ。#3に出てくる白武の後輩から20万を勝手に貰い、Aマッソは新衣装を買う。なお今年も予選敗退ですが。

12〜15「長崎・カンペ・ツアー」カンペに従えないAマッソはこの先売れないということから、カンペに従いながら笑いを取り、その笑いで旅費を稼ぐツアーシリーズ。後輩に電話しまくる#14は後のキーパーソン、FUWAちゃんの伏線があったり、ブルゾンちえみのオリジナルソングが聞ける。

22 「FUWA」異常者FUWAちゃんの異常性が爆発。FUWAちゃん初登場回です。FUWAちゃんはおしっこを漏らすし、親友はクリストファーセデラ―(誰)です。でもFUWAちゃんの指摘によると、Aマッソは急に設定から離れて俯瞰に走る傾向があるし、村上さんは平場で喋らなすぎる。ノーテスターテスター…。

23〜25 「23区・積極・ツアー」Aマッソに積極性を持たせるためツアーを敢行。24時間以内にAマッソは23区を回りきれるのかという趣旨。FUWAちゃんが原付に乗りながら予想外なことをします。このシーンは全シリーズでも一番面白いシーンかも。

26 「サッカー」アジアカップのお供に。一度もサッカーはしませんが。『歯茎出されてやんの』は屈指のパワーワード

28 「TAXI」最近話題の金属バットとのコラボ話。大阪を忘れ、大阪のスピードも忘れてしまったAマッソに金属バットの指導が入る。Aマッソは大阪のスピードを取り戻せるか?

ここから怒涛の削除。台湾ツアーとか面白かったんですが・・・・。FUWAちゃんが臭豆腐をうまいと言って信じた加納が食べてガチ吐きします。FUWAちゃんの活躍が光る。

42 「ほたえるーぷ」頭溶けそうになるAマッソの歌。頭溶かしたいときに聞いてみて。

48〜51 「津軽・芸人失格・ツアー」久しぶりのツアー回。ツアーに外れなしです。『人間失格』を著した太宰の故郷青森を巡り、Aマッソは芸人失格でないことを証明できるのか?斜陽館のAマッソも面白いですが、宿泊先のホテルでの大喜利が毎回面白い。「食べてんねん」のツッコミがユニゾンするの最高です。OH!侍ボーイ!

 

52 「Wi-Fi」最新作。解説読んで見たくなったら見てね。「ガチ企画」っつぽく見せてそうでもないような、というゲラニチョビのエッセンスが入ってていいです。

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是非見てください~!では!

10 ダサい説明必要なし!竹内アンナを聞こう。

 竹内アンナの新曲がYou Tubeにアップされてたので、善は急げ、と書かせてもらうことにしました。

 でも、竹内アンナって誰だろう?って人も少なくないと思います。公式チャンネルがご丁寧な説明をしてくれてるのでそれを借用します。

1998年4月25日、アメリカ・ロサンゼルス生まれ日本・京都在住。幼少より親の影響で70年代や80年代の音楽に触れ、中学1年生でギターを弾き始める。

 

はいはい、私と年齢そんなに変わらないのにすごいっすね・・・

 

で、問題は次です

 

ただ、素顔は20歳の現役女子大生。希望と不安を胸に抱き、自由と責任の狭間で揺れながらも「今」をかき鳴らす次世代型シンガー・ソングライター

 

いつも思うのですが、若手のこういう説明いるんですかね。まあ、仕事でしょうから仕方ないです。

 

この竹内アンナさん、タイプとしてはあいみょん寄りにさせられてるみたいですが(竹内アンナとYouTubeで調べるとあいみょんがすぐ出ます)、それとはまた違うんでは?と感じます。ハスキーよりの歌声だとあいみょんにされてしまうのでしょうか。でも竹内アンナの武器はあいみょんのような身に迫ってくる感じの歌詞ではなく、ギタースキルでしょう。

 

百聞は一見に如かず。音楽だから百聞ですけど。

彼女を世に広めた一曲。I don't careの発音がめちゃくちゃいいです、聞いてて気持ちいい。小気味いい。結構MVはイケイケでお洒落なんでとっつきにくいと思えるんですけど、声質が若干ソフトで、一見さんお断り、みたいな感じじゃないです。ギターソロはさすがです。ギターが売りということもありますが、それが看板だけのものでは無いってプレイが証明してます。

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でも私はこっちのほうが好きかもしれません。ギターの主張がこちらのほうがよりしっかりしてますし、声の感じも少し落ち着いてます。原曲がめちゃくちゃ90年代後半のサウンドなんですが、それをこういう形でアレンジできるのも驚かされます。(アレンジ主がすごいということです。竹内さんじゃないかもしれないので)あと、ドラムがいいですよ。

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原曲 これもいい曲です。ニュージャックスウィング的雰囲気がたまらない。

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新曲です。よりポップになったかな。ほんとにすこーーしだけですが、miwaっぽくなってませんか?個人的なフィーリングとしてはALRIGHTの雰囲気が好きですが、この曲もしっかりギターが顔を出しています。freeの発音がまたよろしいっすね、私も参考にします。

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これも

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これも(最初のフレーズかっこよすぎる)

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聞いてみてね!

 

 

個人的にはギター色濃すぎる曲期待ですね、ではまた

9 アナザースカイにノルウェーが そこは私のアナザースカイ。

 昨日、アナザースカイに古市憲寿さんが出てまして、ノルウェーを紹介してました。このノルウェー、私も約一年古市さんと同じように留学してまして、同じ大学、同じ寮でした。これも見た!とテレビの前でひとしきり感慨にふけっていたんですが。

 テレビでもありましたが、ノルウェーっていう国の情報量はかなり少なくて、スウェーデンフィンランドと比べると少しマイナーな国なのかなと思います。

では、唐突ですがノルウェー〇☓クイズ

1. ムーミンノルウェーのキャラクターだ。

2. イケアはノルウェー発祥だ

3. ノルウェー人は世界で一番コーヒーを飲む

答えは記事の最後に書いておきます。

 

 番組の中で古市さんは社会学を勉強されているとあって、そこに男女平等とかもあったんですが、私も遠くないことを勉強していました。ノルウェーの社会のこともありましたし、逆に日本論みたいな授業を受けてみたり。その中で私が特に好きだった授業がジェンダーと音楽の関係性でした。毎週ジェンダーと音楽に関わる文献を読んで、授業に臨むのですが、毎回一回は発言しなきゃいけないんですね。これが結構きつい。まず私はジェンダー学をやったことが無かったので、何をもってそれが差別的なのかそうでないのかがかなり曖昧だったわけです。しかも授業のクラス人数は大体10人前後なので発言しないでやり過ごすわけにもいかない。そのため、無理にでも何か発言してました。日本ではこうだ、とか・・・。結局その授業は単位はなんとか取れました。(先生は私の拙い英語や文章にも寛大な心で対応してくれたのでしょう)

 ノルウェーに関することでもう一つ。ノルウェーの特徴として「平等」があります。平等ってどう思いますか?おててつないでゴールを切るみたいなこと?それとも女性の活躍する社会?平等な機会?多分どれも正解です。平等という概念はその人のいる立場から如何様にも変化しますし、定義することはまず無理だとは思います。でも「平等」を作る努力は出来ますし、その一つとして過干渉をやめること、が私の中の一つのアイデアです。勿論、困っている人を助けない、とかそういう意味ではなくて、個人を個人として尊重して、その人の意を出来るだけ邪魔しないってことです。そんなん当たり前でしょって意見、出て当然です。でも日本の最近の風潮でも感じるのですが、1人の人間を人間として向き合うことができていないのでは?と思うのです。これがちゃんとできれば、山口真帆さんの事件もこんな形にならなかったでしょうし、女性の社会活躍がより実体をもって実現できるのでは?と感じます。

三者である個人の状況をせめて自分に置き換えて考えて、その人がやろうとしていることや信じているものに「それは違う」とか「浅い」とか言い過ぎない。男性が男性と結婚したっていいじゃないですか。女性が社長でいいじゃないですか。タレントが基地問題にコメントしてもいいじゃないですか。他人のすることに対してハンマーを振り下ろし続ければ、そこには自由がなくなり、皆が不自由な、不幸な平等が生まれるのでは。皆が自分でない存在にも思いやりを持って見守り、時には助け合うという極めて原始的な感情、大事にしていきたいですね。

 

 

ノルウェークイズの答え

1. ☓ ムーミンフィンランドです。

2. ☓ イケアはスウェーデン。ちなみに英語では「アイキア」って言わないと通じません。

3. 〇 世界的に有名なコーヒーショップが立ち並ぶオスロ。国民もコーヒー大好きです。

 

 

8 西野七瀬卒業の餞に『七瀬ふたたび』を読む。

 まずお伝えしなければならないこととして『七瀬ふたたび』というタイトルが極めて秀逸だということ。そして、この作品が私にとって初めての筒井康隆作品で、タイトルで借りたためにこれが三部作であることすら知らなかったということである。

 

 去年9月に乃木坂46のメンバー、西野七瀬がグループの卒業を発表した。その日を私は忘れることができない。というのも、歴は浅いながら私が乃木坂46のファンであることもあるが、その発表がゼミの飲み会中であり、浮かれた私の心を完全に「こちら側」に引き戻したあの感覚は気味悪く私の心に残るからだ。酔った時に鍵をどこかに無くしたと玄関前で気づく感覚に似ているだろう。七瀬にまつわるそんな小話。

 

 一昨日、春休みを間近に控える私が図書館で本をだらだらと探していると、『七瀬ふたたび』が目に飛び込んできた。勿論、有名な小説であるし、メディア化もされているため名前は知っていたが内容はまるで知らなかった。正直恋愛モノだと思っていた。一度別れたけど結局七瀬さんが男のもとに帰ってくるみたいな。

 

全然違った。

 

『七瀬ふたたび』は能力バトルモノだ。精神感応能力(テレパス)を持つ七瀬は同じ能力を共有するノリオと偶然電車で出会う。その後未来予知、透視、念動力、時間遡行など様々な超能力者とも七瀬は出会っていく。やがて七瀬は命を狙われ、超能力を持つ仲間と協同して戦うのだが…。といった内容。

まず思ったのが、なにが「ふたたび」なのかということでしたが、これは前作の『家族八景』からの続編なので「ふたたび」なんですね。そして『七瀬ふたたび』の次作である『エディプスの恋人』を含めて「七瀬三部作」と称される。

これは完全に妄想なんですけど、「ふたたび」は次作の暗示とも言えるんじゃないでしょうか?ラストを読むともう終わりじゃん、この話・・。と思うんですが、次作でも七瀬は出てきます。それに対しての「ふたたび」かもしれませんね。七瀬はふたたび出てくるよ、と。

この作品、あまりに有名なのでネタバレもなにも無いとは思いますが、一応ネタバレしますと、

 

 

 

七瀬含めて全員死にます。メインの登場人物。五歳のノリオも死にます。

この容赦ない殺しっぷり、富野もびっくりです。いや富野のほうが殺してるか。

この作品はAKIRAに似てる部分が多くあると思うのだが、どうだろう。というか、AKIRAがこれに影響を受けたのではないか?と感じた。

超能力のバトル、年齢に不釣り合いな知能を持つ子供、容赦ない死、関連しなさそうな人物が仲間になって戦う、などキリがない。それほどに筒井康隆の影響力があった、ということだろうか。私はこの小説の最初に少し「ラノベ」感を感じてしまった。能力は漢字で書かれるが、ルビはカタカナだし、主人公は非力なのに強い。しかし、このフォーマットが書かれたのは1970年代ということ。これがかなり重要だ。

そして、ラノベなら主人公含めメインをここまで一気に殺せない。しかも最終巻でもないところで。この超能力モノに不可欠な要素を作り上げたうえで、しっかり読者を裏切るラストが描かれているのがこの作品を名作たらしめる。

 

 最後に、この「七瀬」、火田七瀬と西野七瀬の共通性が低くはない。火田七瀬は美人、処女、ある種のそっけなさ、にもかかわらず酒に負ける弱さ、感情的でない性格、内向的、という要素を持つが、西野七瀬もこれに近い。(勿論演じている面もあるだろうが)西野七瀬の人気要素としてはかなさや彼女感があるだろう。美人だが自信なさげで弱い、処女的雰囲気、内向性。西野七瀬ファンが、作中火田七瀬を西野七瀬に置き換えて読んでもそこまで違和感をおそらく感じないだろう。

そんな意外な共通性もある「七瀬ふたたび」、卒業記念に七瀬ファンは読んでみて。

 

7 生を諦め、生を残す

  留学中の友達から連絡がきた。どうやら、私の高校時代の知り合いと旅行先のドイツでたまたま会ったらしく、世界は思ってるよりも狭いもんだね、みたいな他愛もない話だった。でも普通の世間話をして終わり、じゃなかった。

 友達の母親が、白血病になったらしい。

  

 重い。どう話せばいいんだ?慰めるか?聞くだけに留めるか?一緒に考えるか?こんな私の心配をすこしばかり友達は裏切ってきた。存外友達は普通そうで、また、あろうことかユーモアを交えながら私に母親の病状を伝えてきた。

 切り捨てるように言うが、友達の母親は死ぬだろう、近い将来に。白血病の治療について明るくはないため多くは語れないが、基本的には化学療法、投薬、移植(様々な移植がある)だろう。個人にとって一部の治療薬や移植は極めて効果的であり、一部はそうではない。個人の体力、体質などでもそれは左右される。詳しくは分からないが、友達の母親はドナーを受ける意思がなく、投薬で誤魔化しながら残りの生を甘受するそうだ。そこで気になったのがひとつあった。何故骨髄移植を家族から受けないのか。理由として、友達の骨があまり強くないということがあったが、それより自分の子供の将来を懸念して拒否したらしい。

友達が言うには、だが、骨髄移植をすれば妊娠できる可能性がかなり低くなる。母親は自分が生きるということよりも自分の子供が、そしてその次の世代の生に懸けたいのだろう。

 

明らかに自分の命を諦めた選択だ。自分を殺しても子供の妊娠を望む、という、まあ小説ではありそうなストーリーが目の前で広げられている。

私は学生なので子供がいない。もしかしたら子供を持たないまま死ぬかもしれないし、持つかもしれない。もし、子供を持つという行為によって、子供の将来の選択の一つが自分の命に勝るという厳然たる事実を意識させられるのならば、なんたる幸福か。

私は自分が可愛い。他人のために多めにグループワークをするのは自分の学力が上がるからで、いわば投資だ。母親の死は投資だろうか。生物としては投資だろう。自分を殺して血統を守っているのだから。だが、人間にとってそれは最早意識しなくても良いことだ。

 

投資としますか。愛としますか。

私は愛としたい。それくらいしか世の中に純然たる愛を感じることは無いと思うから。