むめい

音楽、映画、小説、スポーツ、ノルウェーのこと、とか。

7 生を諦め、生を残す

  留学中の友達から連絡がきた。どうやら、私の高校時代の知り合いと旅行先のドイツでたまたま会ったらしく、世界は思ってるよりも狭いもんだね、みたいな他愛もない話だった。でも普通の世間話をして終わり、じゃなかった。

 友達の母親が、白血病になったらしい。

  

 重い。どう話せばいいんだ?慰めるか?聞くだけに留めるか?一緒に考えるか?こんな私の心配をすこしばかり友達は裏切ってきた。存外友達は普通そうで、また、あろうことかユーモアを交えながら私に母親の病状を伝えてきた。

 切り捨てるように言うが、友達の母親は死ぬだろう、近い将来に。白血病の治療について明るくはないため多くは語れないが、基本的には化学療法、投薬、移植(様々な移植がある)だろう。個人にとって一部の治療薬や移植は極めて効果的であり、一部はそうではない。個人の体力、体質などでもそれは左右される。詳しくは分からないが、友達の母親はドナーを受ける意思がなく、投薬で誤魔化しながら残りの生を甘受するそうだ。そこで気になったのがひとつあった。何故骨髄移植を家族から受けないのか。理由として、友達の骨があまり強くないということがあったが、それより自分の子供の将来を懸念して拒否したらしい。

友達が言うには、だが、骨髄移植をすれば妊娠できる可能性がかなり低くなる。母親は自分が生きるということよりも自分の子供が、そしてその次の世代の生に懸けたいのだろう。

 

明らかに自分の命を諦めた選択だ。自分を殺しても子供の妊娠を望む、という、まあ小説ではありそうなストーリーが目の前で広げられている。

私は学生なので子供がいない。もしかしたら子供を持たないまま死ぬかもしれないし、持つかもしれない。もし、子供を持つという行為によって、子供の将来の選択の一つが自分の命に勝るという厳然たる事実を意識させられるのならば、なんたる幸福か。

私は自分が可愛い。他人のために多めにグループワークをするのは自分の学力が上がるからで、いわば投資だ。母親の死は投資だろうか。生物としては投資だろう。自分を殺して血統を守っているのだから。だが、人間にとってそれは最早意識しなくても良いことだ。

 

投資としますか。愛としますか。

私は愛としたい。それくらいしか世の中に純然たる愛を感じることは無いと思うから。