むめい

音楽、映画、小説、スポーツ、ノルウェーのこと、とか。

12 太陽の塔。内部にも侵入。

 太陽の塔に行ってきました。関西の人、特に大阪の人は訪れたことや見かけたことがあると思います。異様で、異形で、異彩を放ち、ちょっぴりかわいいようで、すこしこわいあれです。私の太陽の塔への第一印象は「こわい」でした。あれはおそらく、小学生低学年ほどのこと。テレビに写っていた太陽の塔は私に絶妙な違和感を与えました。しかしその後、太陽の塔はそれなりの期間、私の記憶の部屋の向こうに追いやられる不遇の時代を過ごします。そんな可哀そうな太陽の塔にまたスポットライトが当たります。中学三年のころです。きっかけは森見登美彦の『太陽の塔』を読んだこと。主人公は大学を自主休学している京都大学五年生。「私」は別れた彼女、水尾さんの生態研究を純粋な研究として一日のほとんどを費やして行いながら、「男汁」が染みついた友人と不毛な日々を過ごす。ではタイトルは何故「太陽の塔」なのか?主人公が幼少時、太陽の塔に心惹かれたこと。元彼女の水尾さんが「私」と太陽の塔へデートに行った際、太陽の塔に異様にのめりこんだということ。そしてラストシーン。この三点で太陽の塔は関わってきます。意外に太陽の塔はそんなに出てこない小説なのですが、太陽の塔は私に強烈な印象を与えました。京都大学に行こうとすら思いました。すぐに諦めましたが。

 そして私は関西地方の大学に進学し(京都大学ではもちろん無い)、太陽の塔へのデートを画策しました。しかしながら大学入学してから私は男汁にまみれてしまい、しばらくデートはお預けに。幸運に彼女が出来て太陽の塔に二度行ったのですが、まさかのどちらも休園日。太陽の塔は私を拒絶します。(私の確認不足という説もあります。)

そうやって確認を怠っているうちに私は日本の土地をしばらく離れることになります。しかし太陽の塔は私のいない間に、その秘められていた心を世間一般に開放します。なんとその内部を公開するというのです。大阪万博が終わってからその内部はおよそ50年一般開放されていなかったのですが、2018年、その沈黙はとうとう破られます。この一方をスペインはバルセロナで見た私の興奮、これは久しぶりに自室を掃除したら一万円がなぜか出てきた、この際の興奮と同量だったと記憶します。

 そして時は流れ、2019年。私は彼女を引き連れ太陽の塔に向かったのです。さながら『太陽の塔』のように。彼女は水尾さんのように異様な執着は見せず、どちらかというと私が前のめりになって太陽の塔について語るというものでしたが、大変満足いくものでした。太陽の塔の魅力として、時代に取り残されない異常性があると思うのです。太陽の塔は古いな、という印象を皆に与えないのと同時に、先進的だという印象も与えません。太陽の塔は極めて原始の建造物のようなプリミティブな印象を持ちながら、しかしながらそのコンクリートに包まれる近代的構造に支えられています。進化の過程、生物誕生のタイムラインを内包する内部。儀礼的な地底の太陽。統一されたテーマというのが一見すると分かりづらくなっているような気すらします。私はそれこそが世界であり、カオスこそが真実なのではないかと考えるのです。勿論、神によってすべてが説明できるとする考え、すべては科学で実証可能とする考え、それらを私は否定しませんが、太陽の塔に内在する、古いけど新しく、新しいけど古く、どこか点と点がばらばらになっていながらも強烈な印象の下でそれがどこか統一したように見せられ、一つの物差しでは測れない世界というアンビバレントな世界もまた否定できないと思うのです。

 太陽の塔には世界が、地球が蠢いています。是非自分の目でそれを目撃してください。