22 乃木坂オタクにおける「バレッタ」低評価問題
深夜2時。衝動から書く。
私は数ある乃木坂楽曲の中でも「バレッタ」が大好きだ。
出だしのドライブ感あるドラム。全体に抑制の効いたサウンド。いい意味でアイドルらしさのないサビ。PVの意外性。堀未央奈というドラマ。
しかし、「バレッタ」の人気は低い。以前行われた乃木坂人気楽曲ランキングで45位であったが、もう少し高くてもいいくらいだ。私的にはかなり低く見積もっても20位内には入る。(意外BREAKも低すぎる!!!)
しかし、この順位は「バレッタ」の評価の中ではかなりマシな部類であると思う。
各々検索していただければ、各種サイト(アイドル評論系)でのバレッタの評価は低い。
「わかりづらい」「ドラマ優位」とかいう言葉も散見されるし、いわゆる「バレッタ3回事件」(1ライブでバレッタを3回披露した。そりゃ飽きる。)のせいでいらぬ尾ひれがついている感じもある。
この3回事件を引き起こしているのは運営側の「堀未央奈をニューセンターとして大成させたい」という思いであり、それは1期生オタクからすればエイリアン的な存在にも見えた可能性がある。
PVでは堀未央奈が白石麻衣を銃殺している。これは当時のオタクにとっていかほどの衝撃だったか。私はその頃オタクでないのでその全容を知らないが、容易に想像できる。
それを踏まえても、バレッタは乃木坂の特異点であり、転換点である。
音楽的にも優れているのに・・。という思いを抱かずにいられない。
実際、音楽オタクの乃木坂オタクに確認をとってみたところ、やはり私と同様の感覚を持っており、確実に音楽オタクたちの耳にも耐えうる強度を持った楽曲だ。
では、それを踏まえてバレッタという楽曲はなぜ優れているか?という答えが以下である。曲を聞きつつ読んでいただけると幸い。
先述した、軽快なドラムの入り。
フルートと思わしき一音目がこの楽曲全体の道標を指し示す。この一音目のイメージをバレッタは守る。アイドル楽曲には珍しい「余裕」「余白」の姿勢。
そこから常にドラムが顔を出して、その存在を主張する。ドラムの音をもう少しタイトにしてもよいとも思われるが、この軽いながらも認識できる程度の音がバレッタのイメージを崩さない。
サビ。秋元康にありがちな詰込み歌詞でなく、すらっと歌い上げる。詰込みのある歌詞は「女子たちが‥」くらいで、基本的に楽曲のサウンドと歌詞が無理なく連動する。
間奏が終わり、もう一度ドラムで二番に。
「さあ推理してみようか」で万理華のあどけない声。この楽曲を通しての謎めいた感じにこの声は不一致と思うかもしれないが、極めて効果的だと思う。こういう声がバレッタを「アイドルソング」たらしめる。
その後、「そう僕の視線の先で」という部分を白石などの比較的落ちついた声のメンバーに歌わせる。そうすることで、解決を図るような仕組みになっているかのよう。
ラスサビ。ここで一度テンポを落とし、終わると見せかけてもう一度ドラムで復帰させ、最後にもうひと盛り上がり。
そして最後にもドラムを持ってくる。最初の入りと同じように。ここが憎い。最初から最後までしっかりビート感を忘れさせない。
バレッタは確かに抑揚に欠ける部分があるかもしれない(裸足でSummerなどと比べると)が、全体的に統一されたテーマで構成されており、無理やり盛り上げようとしない。だからこそ、楽曲としての完成度が高いのである。
最後に、このバレッタのテーマ性、つまり「全容の見えない不思議な、魅力的な女の子」というテーマを堀未央奈はこのときからいままで保持させている。
堀未央奈はこの楽曲以降表題曲センターを務めていないが、今後堀未央奈がセンターをもう一度務めたとき、堀未央奈のイメージは更新されるのか。それともバレッタ的な曲をあてがわれるのか。堀の底知れなさを端的に表した名曲。再評価されてしかるべきだと強く願い、この文を締める。