むめい

音楽、映画、小説、スポーツ、ノルウェーのこと、とか。

2 空回りしながらも動く、ということ

 先日、友人たちと、自分の人生をプレゼンしてみようという企画があった。友人の持っている人生軸、ある種のフィロソフィを知ることができ、その企画自体は大変満足であった。

 しかし、私は大変当たり障りが無いプレゼンをしてしまったのではないかと感じたのだ。大失敗ではなかったが、大成功と呼べるものでもなかった。というのも、自分の人生を見たときに、行動が割合受け身だからである。私は幼い頃、転勤が数度あった。その度、転勤先に順応するため最もベストな行動を選択し、環境に順応していった。(ベストと勘違いしているだけだが)勿論、その中には上手くいかなかったパターンもあった。それでも最終的にはレールに上手く乗せてきたとは思うが。レールに乗せる、これが受け身を作ってしまう。出来事をなんだか降ってくる、運命的なものだと思うのもありっちゃありだが、それは主体性を奪ってしまう。主体性ってなにか分からんけど。しかし、確かに主体性を感じる人もいた。

 

 

 主体性、それを友人のひとりのプレゼンから感じた。そのプレゼンはけしてなめらかでなく、正直に言えば聞きづらいものではあった。自分が話しているときにも絶えず不安を口にしていたし。でも、友人のやっていることは度を越していた。国連で働きたいから大学院の授業を学部一年から聴講したり、アフリカのある国に行って実地で働いたり。友人はそういう経験を経てもまだまだ自信なさげだった。確かに友人は努力が空回りしたり、間違った方向にアクセルを踏んでしまうこともある。でも、動いている。私のように安全圏で勉強しているのではない。それが「見当はずれな努力」でもきっと糧になっている。友人は自分のプレゼンが終わった後も他の人に関心を向け続けていた。私は中々そうなれない。きっと自分と他を比べて嫉妬したりしたから。(認めたくないだけで嫉妬もした、嫉妬というより劣等感かも)空回りするエンジンの方がサンプル品のエンジンよりマシかもしれない。

だっていつか動くかもしれないから。